ここでいつも紹介してるアメリカ人インディー映画のプロデューサーのブログを勝手にいつも超訳させてもらってるが、今回は「映画製作は仕事ではない」の記事に注目。残念だが、カネ儲けに走ったら、私のいつも作る様な映画は絶対、製作される事はないだろう。一般人が稼ぐ様な金額を稼ごうとしたら、私がいつも製作してる様な映画を作る事はないだろう。私は過去20年で、60作品をプロデュースする事が出来た。自惚れてる訳じゃないが、この間、勘みたいなモノは備わった。いい仕事が次のいい仕事を産み出す。実績がモノ云うのも確か。特に金銭面では大いに助かる。しかし私の過去作品の製作される理由は、大きく二つのファクターで決定される。まず一に企画内容の素晴らしさ。そして二つ目に共同製作パートナーがどれだけ犠牲を払う意思があるかだ。他にもある。これまでの作品、全てに作られるべき共通点がある。何年も疑う事なく企画と監督を信じ、これの為に奔走する。付加価値を付け、何度も賛同者を集めに動き、戦略を立てる。勿論、私の処に来る全ての企画がそうはいかない。私は企画の選択に関しては非常に厳しい。これまでの作品の内、いくつかは3年無給で動いたのもある。いつもそうだが、映画の製作資金が集まると、自分の取り分を犠牲にしなければならない時がしょっちゅうある。不平は云わない。私がそう選択したからだ。寝ぼけてる訳じゃない。しかし他のプロデューサー達と話すと、特に新人プロデューサー達は信じられないと云う顔をする。映画プロデューサーと云う仕事は「働いてるのだからカネを貰って当然」と云う考えを捨てなければならない。この仕事を始めた最初の5、6年は私も普通の仕事を持っていた。無名の頃は無給で手伝ったり、人を紹介しあったりと、こうやって業界にコネを作り
始めた。大金ではないがカネには困らなかった。映画学校に行き、映画代の為に他のモノを犠牲にした。家賃、光熱費は当然、仲間にカネを貸すぐらいの事は出来た。キチンとした仕事を探してる人には、当然こう云う事は出来る訳がない。知識や責任よりも金銭を追いかけていたら、自分の人生は全く違ったものになっていただろう。皆、働く為に生きている。生きる為に仕事をするんじゃない。ニューヨークタイムズ紙を読んでると、18歳~29歳のアメリカ人の37%が無職だと云う。彼等は映画プロデューサーになろうとしてるのかと。経費の保証以外、サラリーの保証等してもらった事がない。不平を云ってるのではない。自分のやりたい事を確立する為にこの道を選んだのだ。「カネを払ってくれないのなら、あれやこれはやりたくない」と、余りにも多くの映画監督達が不平を云うのを目の当たりにしてるので、敢えて私は上記の事を云いたいのだ。残念だが、今日の状況を考えると、そう云う輩の映画が製作される事はまずないと見ていい。一部の天才映画監督達はそうでもないかも知らんが、それ以外はどうすればいいのだ?映画製作を諦めるか?製作費の問題で空中分解した映画を何本も知ってる。私自身も低予算映画なのに、莫大なカネを狙い過ぎて、企画が破綻させた事がある。人を利用しろと云うつもりはないが、ボランティアで参加したいと云う者はサポートするつもりだ。カネだけでなく、時間や労働力を提供したいと云う人達のコミュニティも必要だ。犠牲なくしてインディーズ映画の継続は有り得ない。それが出来なければ、普通の仕事をした方が良い.....。
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