Sunday, December 26, 2010

Can Yen Be the Key Currency? No Shit!

幻の国際通貨「YEN」 市場改革いつも後追い ニッポンこの20年

東京を世界有数の金融センターにして、「円」を国際通貨に育てる――。バブル崩壊後の日本は、そんな夢を追いかけてきた。1994年5月。退任を約1週間後に控えた東京証券取引所の長岡実理事長が最後の会見に臨んだ。「攻撃よりも守りが長かった」。言葉は自然に口をついて出た。89年末に最高値を付けた日経平均株価の下落率は5割近くに達した。上場する外国企業も最多だった91年12月の127社から約2割減った。

■世界首位の錯覚   「情報開示の費用が高いわりに、売買が活発ではない」(オランダのフィリップス)。こうした批判を受け、東証ではアジア企業の誘致や上場基準の緩和を進めるべきだとの声も出た。だが関係者の腰は重かった。「上場株式の時価総額で世界一になったことで、もう十分に国際化しているとの錯覚があった」。長岡氏はこう振りかえる。そして現在、東証上場の外国企業はたった12社。ピークの10分の1という惨状が世界における東京市場の地位を象徴している。90年代に証券業界が2度も不祥事を起こしたことで「市場を盛り上げる議論が世論の支持を得にくかった」(野村証券OB)という逆風も吹いた。それでも「東京をニューヨーク、ロンドン並みの市場に」との目標を掲げた98年の日本版ビッグバン(金融大改革)は、失地回復の好機になるはずだった。ビッグバンを踏まえ、外国為替等審議会(蔵相の諮問機関)は99年に「円の国際化」を求める答申をまとめた。債券市場などを改革し、外国人投資家が円資産を持ちやすい環境を整備すれば、円の国際化が進み、円建ての貿易も拡大する――。答申はそんな絵を描いた。だが「円の国際化は企業から思ったほど歓迎されなかった」。審議会で円の国際化専門部会の部会長だった伊藤隆敏・一橋大学教授(現東京大学教授)はこう明かす。1㌦=80円を超す円高を経験した日本企業は、既に海外生産の速度を上げていた。グローバルな資金管理もドルに一本化するなど、“企業財務のドル化”が政策当局の想像以上に進んでいた。「今さら円の国際化だと言われても……」。企業の本音は冷めていた。改革は後追いになり、しかも同床異夢だった。2010年の国際決済銀行(BIS)の調べによると、世界の外国為替市場に占める円の売買シェアは19%。90年代初頭から約4ポイント下がった。基軸通貨のドルは85%と圧倒的で、99年に発足したユーロもかつての独マルクを上回るシェアを確保した。

■二大通貨が圧倒   ロンドンなどの国際起債市場では、ドル建てやユーロ建ての発行が圧倒的に多い。二大通貨のはざまで存在感が薄れ、投機に翻弄されやすくなった円。それが市場と通貨の国際化を20年も追求してきた日本の現実だ。円の過度の変動が経済や金融の安定に悪影響を及ぼすことを懸念する――。08年10月27日、日米欧など7カ国(G7)の財務相・中央銀行総裁は緊急の共同声明で、約8年ぶりに円高に言及した。その1カ月ほど前に米リーマン・ブラザーズが破綻し、市場にはリスク回避の動きが広がっていた。「ドルよりも安全」というだけで、資金は円に流れ込み、急激な円高が日経平均株価を7000円近辺に押し下げた。「日本の政府も企業も関係なく、今は円買い・日本株売りだ」。ある英系ヘッジファンドの担当者は現金比率を80%まで高め、市場の動揺が静まるのを待った。アジア開発銀行の黒田東彦総裁(元財務官)は米連邦準備理事会(FRB)の元高官から、こんな話を聞かされたという。「100年後には世界中で20通貨ぐらいしか残らないだろう」。世界各国で関税が撤廃されて市場の一体化が進めば、今後もユーロのような統合通貨が登場するというわけだ。市場動乱のなか、中国はマレーシアやロシアと通貨交換の解禁に動くなど、人民元の国際化に布石を打つ。「欧米に追いつく」という発想にとどまる小出しの改革では、日本の「市場」と「円」の未来は心もとない。(日経新聞)

来年以降も「円高」「株安」は変わらんと思うよ。もう日本経済、下降の一途。それでもこの場に及んで「起死回生!」「復活!」を連呼してるインチキ専門家の多い事。特に御用学者と経済アナリスト。俺に云わせりゃ「食扶持がなくなるから」、こう云う事でも言い続けないと、こいつらの存在意義が無くなるからに過ぎないのよ.....。

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