Tuesday, November 20, 2012

Roger Corman on 'Attack of the 50 Ft. Cheerleader,' the Benefit of Budgetary Restraints and Why the Internet's the Next Home for Indie Film

ロジャー・コーマンに関しては、最早、説明不要。この爺さんがいなかったら、アメリカの低予算インディー映画の歴史は形成されなかったと云っていい。コッポラ、スコセッシ、キャメロンは皆、彼の元から飛び立った。最新3Dプロデュース作「アタック・オブ・ザ・50フィート・チアリーダー」のプレミア前にインタビュー。

ーなぜ今、「アタック・オブ・ザ・50フィート・チアリーダー」なのですか?

製作会社Epixの人が元だ。彼は「アタック・オブ・ザ・50フィート・ウーマン」を一緒にプロデューサーし、「もう一回やる?」と訊かれ、「イエス」と答えた。理由は二つ。今の時代でも十分楽しめると思った。それと、私自身、3D映画を作った事がなかったからだ。今、業界で3D映画が話題になってるし、自分もどんな物か知る事が出来るんじゃないかと。結果、どっちの理由共、大成功だったと云える。


ー古い映画をリメイクした物ですが、古さは感じずも、70年代、80年代のセックスコメディの良さは残してました。これは意図的ですか?

イエス。業界が変貌してるのは意識し、ヒット映画の質も変わりつつある。昔を知ってる客をほっとかない様に気をつけた。

ー映画の予算は、あなたの過去作同様、控えめですね。3Dだからもっと予算を使おうとは思わなかったのですか?

低予算と云うより、現実的予算だね。Epixとの契約で、いくらぐらいの予算かは大体想像出来た。私の会社が海外配給権を持ち、そこから逆算すれば、最終予算はこれくらいでやらないとダメだと分かる。

ーしかし3Dですから、予算的にかなり厳しい事になるとは思いませんでしたか?金銭的制約での葛藤と云いますか。

時として問題ではあるが、制約によってクリエイティブさが増す事もある。知恵が出ると云うか。1959年に私が製作したチャールズ・ブロンソンのデビュー作「マシンガン・ケリー」だって、当時の予算で今やれって云われたら出来ると思うよ。当時、19世紀の雰囲気が残るワーナー・ブラザーズの敷地で撮影した。セットを組む予算なんてない。だからワーナーの敷地から盗める物は片っ端から盗んだ。移動させたんじゃなくて、そこにある物の前で役者に演技させた。あたかも自前のセットであるかの様に。あの銀行強盗のシーンは絶賛された。

ー最近、映画よりTVの方が多いですが?

こればっかりは、私の意に沿うモノではない。なぜなら、私のデビュー映画は1955年。以来、どの映画も劇場公開された。12,000㌦(数百万円)、6日で完成させた映画でさえ、劇場公開された。1990年頃だから、20年前だったか、ハリウッドは全米の映画館を支配する様になり、私の様な低予算インディーズ映画作家の映画は、どんどん隅に追いやられる様になってしまった。90年代の10年間で、完全にメジャーに劇場を奪い取られたと云っていい。世紀の変わる2000年には、我々の居場所は完全になくなり、私の会社の配給部門も、その頃、閉鎖に追い込まれてしまった。「パラノーマル・アクティビティ」の様な映画でない限り、インディーズ映画の公開出来る場所はなくなったし、今もってない。昔の様に、年間10〜15本製作して、全作、劇場公開出来る様な時代は過ぎ去ったね。年1本か2本、劇場公開されるといいんだが、そんな規模じゃ商売にならない。劇場の穴埋めにDVDが登場して、この10年、助かったが、この1、2年、DVD市場に陰りが見え始めた。で、我々はケーブルテレビ市場にシフトを始めた。

ーその頃ですか、SF専門チャンネルでオリジナル番組「シャークトパス」を製作し始めたのは?

その通り。

ーと云う事は、今のところ、ケーブルで喰い繋ぐって感じですか?

そうだね。「今のところ」ってのが、正しいだろうね。今、インディーズ映画関係者にとって不景気だから。劇場公開と云うビジネスモデルはとうに消えてるし、DVD市場も縮小してるけど、海外市場は以前にないほど膨張してる。でもネット配信がこれからのメインになる事は間違いないだろうね。完全ネット配信。いい時代が戻って来るだろうね。(笑)

ー過去、映画業界にこんな不景気がありましたか?

全てが真っ暗になってしまった。配給部門だけでも、とんでもない変革があったのだ。過去100年続いたビジネスモデルが通用しなくなったのだ。

ーあなたはこの業界に何を残したのでしょうか?

大したモノは残してない。業界の巨人だと云う錯覚すら覚えない。あるとすれば、インディーズ映画の存在を世に知らしめた、とは言い切れるだろうね。それはメジャーに対してと云う意味だ。私が半世紀前、この業界に入った頃、映画=メジャースタジオだった。小さな製作会社もあったが、ほんの数えるほどだった。70年代に入る前、インディーズ映画は以前にも増して力をつけ、メジャー映画と興行で張り合える様にまでになっていた。

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