Wednesday, January 16, 2013

R.I.P. Nagisa Ohshima

世界の“オオシマ”最後まで映画へ執念 半身マヒをリハビリで克服

日本映画界で特異な存在感を放った大島渚さんが15日、亡くなった。カンヌ国際映画祭で最優秀監督賞を受賞するなど、世界の“オオシマ”をアピー ル。晩年に脳梗塞(こうそく)に見舞われたが、半身マヒをリハビリで克服して現場に復帰し、映画製作への執念は最後まで健在だった。

「死のふちをのぞいたから、この映画ができたと思います」

平成11年末、映画「御法度」がようやく公開にこぎつけたとき、大島さんはこう語った。

「マックス、モン・アムール」以来、約10年ぶりの新作として製作発表が行われたのは8年1月。だが、その1カ月後、映画100年祭で講演する北アイルラ ンドに向かう途中、ロンドン・ヒースロー空港で脳梗塞のために倒れ、製作が約2年間にわたり中断した。右半身マヒや言語障害の後遺症が出て、この間、大島さんは妻の小山明子さん(77)らの支えを受けながら、懸命なリハビリを続けたという。

同作のクランクインでは車いす姿でメガホンをとり、出演したビートたけしさん(65)が「監督の『ヨォーイ』の声の大きさには、たまげた」と驚くほど、見事、現場復帰を果たした。

昭和34年に松竹から監督デビューし、「青春残酷物語」など社会性の強い話題作を相次いで発表、日本映画の最先端を走り続けてきた。

51年には日仏合作「愛のコリーダ」が公開。過激な性描写をめぐり、映画のスチール写真などを掲載した単行本を警視庁が摘発、大島さんも刑事被告人として法廷に立った。そこで大島さんは「私は『芸術かわいせつか』という論議を否定する。私にとって、わいせつは存在しない」と真っ向から起訴事実を争 い、最後には無罪を勝ち取った。

一方で「テレビは映画よりはるかに影響力がある」と語り、バラエティーやワイドショー番組にもコメンテーターとして出演。テレビ朝日系の討論番組「朝まで 生テレビ!」では、生放送中に「バカヤロー」と共演者に怒りをぶつけて番組を盛り上げ、歯にきぬ着せぬ発言で話題を集めた。

二日続けて、大島渚の事を書くとは思わなかった。四半世紀前、自著「答える!」を読んで感銘を受けた。ニューヨーク滞在中、大島は「私が今、19なら間違いなく渡米していただろう」と書いてた。これを読んだ半年後、俺は渡米したわけよ。享年80歳。後半生は映画を撮れずに、タレントとして生計を立ててた大島監督。他に撮りたかった企画がゴマんとあったに違いない。合掌.....。

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