Thursday, December 25, 2008

Kurosawa Pissed and Talked Back to Young People


NHKで「黒澤明 世界の若者と語る」と云う1991年に収録された番組が再放映されてたんで、食い入る様に観てしまった。「8月のラプソディー」の公開直後の頃で、黒澤明の隣に東宝映画の重鎮とも云える「ゴジラ」の生みの親、本田猪四郎までが登場してた。当時の日本の若者達(俺も彼等と同時代だと思う)が、黒澤相手にいろいろ質問している様が妙に可笑しかった。新米脚本家は黒澤に対して「何であそこのシーンはああなったのか?説明過多では?」と訊き、黒澤は「いや、人それぞれ感じ方が違うんであって、ここで君と押し問答したってしょうがないでしょうが」と切り返すと、脚本家は「それだと評論を一切受付けないって事ですか?」と聞き返すと、黒澤はキレそうになって、返答してるのに思わず苦笑。巨匠って云うけど、結構、器の小さな爺さんって感じだったな。正直、俺は黒澤作品数本を観ただけだが、全く世間が云う程、評価してない。てかどう観ても過剰評価ってヤツだろ。一部、他が云う様に「黒澤映画はカラーになってからダメになった」と云うのも頷ける。確かに「羅生門」「七人の侍」は凄いわ。映画のストラクチャーを一新しちまった。あるアメリカ人が前者を「世界初のインターアクティブ映画」と評してた。確かに見ようによってはそうかもしれんが、黒澤30作品で、本当に凄いってのは数本だと思うけどね。ただこの爺さん、かなり高齢になっても製作意欲は凄いね。これだけは見習いたい.....。

先日、元タレントの飯島愛が渋谷のマンションで死んでるのが発見された。享年36歳。人生80年時代に何でそんなに早く、と思った人も多いんじゃないかと。俺はこのニュースを聞いて何も驚かなかった。てか、飯島愛らしい死に方じゃないかと思うんだよね。この20年、全力疾走で走って来た感がある彼女の人生。俺は面識はないんだが、在米中、面識のある人間達から色んな事を聞いた。正直、面識のない人間の事をプライベート風に書くのは嫌だから別の書き方にする。今の10代、20代にとって飯島愛はテレビのタレントだが、俺達の世代はどう考えてもAV女優に過ぎないし、それ以下、それ以上でもない。しかし彼女の人生と云うかキャリアではAV女優だった時期って数年くらいじゃなかったかな。当時の人気AV女優後藤えり子にスカウトされ、1992年デビュー。その豪快振りは記憶に残ってる。人気にあやかって飯島恋などと云う「偽AV女優」も出現する等、業界でもトップクラスだった。90年代後半ではテレビにも進出。テレ東の深夜放送でTバック尻を恥ずかしげもなく画面一杯に見せてくれた。Tバックと云うワードを世間に認知させたのも彼女じゃなかったかと思う。AV女優がお茶の間に入って成功した唯一無二の存在だった。とにかく彼女のAVは歴代でもかなり上位に入るんじゃなかったかと思う。ロサンゼルスの日本人経営のビデオ屋にはかならず「飯島愛、裏あります」と云う看板が出てた。死亡ニュースは台湾、中国にも発信された。俺は彼女がテレビに登場した時から興味は失せてたね。でも一言だけ彼女に云えるなら「お世話になりました」と.....。


ドロンジョがいないのは何でだ?

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