「プラザ合意25年 協調なき多極通貨体制で問われる円独歩高への対応」の記事が面白い。先進国がドル高是正のために通貨協調を目指したプラザ合意から、22日で25年になる。日本にとっては円高時代と重なる。この間、欧州単一通貨ユーロが登場するなど、「ドル一極体制」は事実上、「多極体制」へ移行し国際通貨システムは大きな変貌(へんぼう)を見せた。ただ、新たな通貨協調の枠組みは構築されておらず、リーマン・ショック後の国際経済の低迷の中、各国が通貨安で危機打開をはかる自国本位に陥っている。円独歩高に追い込まれる日本には、救いの手をどう差しのべるのかが突き付けられている。米貿易赤字是正が震源
「私は円高大臣だ。円は他の通貨より高く切り上がってもかまわない」。1985年9月、日本の竹下登蔵相(当時)がこう述べるなど、米国の貿易赤字を是正するため、各国が協調してドル売り介入したプラザ合意。同年初めに1㌦=250円台だったドル円相場は86年末に160円を突破し、その後に続く円高時代の号砲となった。急激な円高とそれに伴う景気後退に対応するため、80年代後半、日本は金融緩和を実施。対外配慮のための内需拡大路線に伴い緩和は長期化し、これに伴うバブルの発生と崩壊は、その後の経済社会に深いつめ跡を残した。また、自動車や電機など製造業が、生産コストの低いアジアなどへの工場移転を加速。経済産業省の今年8月の緊急調査では、1㌦=85円台の円高が継続した場合、製造業の4割が工場や開発拠点を海外に移すと答えており、日本の産業空洞化は現実味を帯びる。
協調難の時代プラザ合意後の15年間、円高局面では何度か協調介入が行われ、日本は救われてきた。メキシコ通貨危機などを背景に円が最高値の1㌦=79円台をつけた1995年も、7月に日米がドル買い介入するなどし、円高の流れを是正している。しかし、99年にユーロが誕生し、中国経済の発展を背景に人民元も存在感を高めるなど国際通貨システムが変容すると、それと並行するように協調介入は行われなくなった。背景には「経済のグローバル化が進み、国際的に米国流の市場原理主義が求められ、為替のコントロールが嫌われるようになった」(市場関係者)事情がある。主要国での最後のケースは、2000年9月、ユーロ安防止のための協調介入だ。2008年秋のリーマン・ショック後、内需成長に期待できない先進各国が、輸出主導で景気回復を目指さざるをえなくなったことは、協調をますます難しくしている。米国は、オバマ大統領が今年1月、「輸出倍増計画」を発表し、ドル安を容認する姿勢を表明。ギリシャの財政危機などを抱える欧州も同様に、ユーロ安を求めている。金融関係者も「かつて協調を主導していた米欧が、輸出を伸ばすため目先の通貨安を競っている。安全資産として円が買われている日本の苦境などには無関心だ」とあきれ顔だ。
求められる信頼関係
そんな中、政府・日銀は今月15日、6年半ぶりの単独介入に打って出た。外国為替市場は1㌦=85円台と円安方向に戻し、「とりあえずうまくいった」(市場関係者)。しかし、米国では議会や自動車業界から日本の為替介入に批判の声が出始めている。米民主党は今年11月の中間選挙で苦戦が予想されており、オバマ大統領が非難の声に耳を傾け始めないとも限らない。政府・日銀が前回、単独介入を成功させた03〜04年は、「当時の小泉純一郎首相とブッシュ米大統領の個人的な信頼関係が大きかった」(同)とされる。しかし、現在の日本の民主党政権は、米軍普天間飛行場の移設問題などをめぐり、米政権との関係は不安定。一方で、産業空洞化などを加速させる円高への対応は待ったなしだ。多極通貨体制下での新たな協調の枠組みか、米政権との強固な信頼関係か。円の漂流を食い止める道筋を一日も早く描く必要がある。
プラザ合意 1985年9月22日に開かれた日米英独仏の先進5カ国(G5)の会合でのドル高是正に向けた合意。会議がニューヨークのプラザ・ホテルで行われたため「プラザ合意」と呼ばれる。米国の輸出拡大により貿易赤字を解消するため、各国は合意に基づき、ドル売りの協調介入に乗り出した。同年初めに1㌦=250円台だった対ドル円相場は同年末には200円、86年末に160円を突破し、その後の円高・ドル安基調を生み出した。(産経ニュース)
先週、世界中のひんしゅくを無視して単独介入した日本政府だが、介入以来の円高更新したと云う笑えないニュース。結局、先週の介入は何だったんだ?
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