Thursday, December 23, 2010

How to Train An Animator by Disney

ウォルト・ディズニー・プロダクションズ社
社内メモ

日付 1935年(昭和10年)12月23日
宛先 ドン・グレアム
発信 ウォルト

クリスマス休暇の終わったすぐ後に、君と一緒に若いアニメーターの育成プランとベテランの扱いについて話がしたいと思ってる。

うちの会社にいるベテランの中に、正直、多くの事に欠落してるのが何人かいる。一度、彼等と話し合いを持ち、何が問題なのか認知させる必要がある。

当然、大大前提として、画の描き方を知らないとダメだ。静物画の絵画教室の必要性も出て来る。しかしドンよ、彼等は既に素晴らしいアーティストなのに、プロとしては甚だ疑問なのもいるわけだ。

中には理論的な事よりも実技的な事に問題のあるアーティストがいる。よって上記の様な教室が必要となるわけだ。

仲間内に話すとすぐさま賛同してくれた。これをやればアニメーションが一歩前進すると感じた。中には100%に近い、完璧なアーティストも出て来る筈だ。未来のアニメーションは教育なしに達成しないと思うね。

以下が自分の気づいた事だ。

自分の描いた画を良く見る。アニメの動きや完成したモノを詳細に分析し、以下の事を念頭に再分析する。

1. 製作開始前と公開時の時、何を思い描いたか?
2. 当初のアイデアは最終的にどう表現されたか?
3. その結果、何を学んだか?
4. 完成後、更に良くする為に、どう改良出来るか?

アーティスト同士、議論も必要だ。可能ならポジション関係なく、困った点や問題点をオープンに議論させる。

新人、ベテラン関係なくこう云う教室は両者の溝を埋める格好の機会となると思う。

アニメーターとしての資格をリストに上げるのも悪いアイデアじゃないと思う。彼等を集めて、一流のアニメーターになるとはどう云う事か話し合わせ、自身の現状と照らし合わせて再確認させるのも手だ。

リストは画の描けるアニメーターから始まり、一連の動きを描けるアニメーター、それを一枚一枚、画に出来るアニメーター、アクションの細分析出来るアニメーターに分ける。これよりプロトタイプ的な描画を作成し、そこから自然な人間の動きにし、そしてアニメーション特有の「有り得ない動き」を加味する。そしてアニメーター一人一人が人間の知覚、感覚、興奮、感動を分析する事も必要だ。それらの裏には何があるかを。こう云う事を学ぶと共に、「笑い」とは何か?何故、観客はそれを「面白い」と感じるのかを分析する必要がある。

つまり、良いアニメーターとは以下の条件を兼ね備える。

◯センスのいい製図技師である事。
◯風刺のセンス。
◯芝居の知識。
◯ギャグセンスがあり、それをすぐ描ける能力
◯ストーリーの構成力と一般観客の感覚
◯アニメーションの製作過程を全て熟知しているか。どの位置に配属されても臨機応変さを持っているか。

非常にラフに書いたが、書きながら頭に沸いたものだが、休暇の後に一度、君と会って、打ち合せをしたい。 従業員達全員がより良いアーティストになれるかどうか見極める必要がある。

このアニメーション業界に科学的アプローチで臨む事も考えてる。若い人材を育て上げる手筈が見つかるまでギブアップすべきでないと考える。

我々は目の前の実物を観察してるが、それで実物をアニメーションとして捕らえる事にはなっていない事に気づくべきだ。問題は捕らえた後の事で、その「実物」をファンタシー路線に持っていくのか、それとも非現実風に持っていくのか、それとも現実を超越した非現実路線に持っていくのかなのであって、同時に観客はそれをどう感じるかを想像しなければならない。

アニメーター達の多くは「実際の動き」の観察を誤解している。目的化してしまっているわけだ。これは早急に解決しなければならない事だ。リアルとは何かを最初に知らない限り、リアルなモノを見て、それをファンタシー化する事は不可能だ。新人だけじゃなくベテランも知るべき事だ。

コメディならなおさら観客との双方向性は重要になる。当然と云えば当然だが、忘れがちである事も事実だ。潜在意識がここで重要になる。目の前の映像を観ながら、観客はいつだったか、どこだったかで、見た、会った、或は夢に見た事を思い出す。最高に笑えるギャグや観客の反応を観察すると、現実にあった出来事や妄想した事がベースになっていると云う事が分かる。これが私の云う、観客との双方向性だ。これが作り手側と観客の間に成立しなければ、料金を払って観に来た客には意味のないモノになってしまう。

よって風刺技法、パロディの本当の意味とは、「事実」「現物」の誇張表現なのだ。我々のやっているアニメーションではヤラクターのアクション、リアクションを見せるだけでなく、各キャラクターの感情も表現しなければならない。経験から云わせてもらうと、最高のコメディと云うのは「現実的で」「可能性のある」「有り得る」事がベースになったモノばかりだ。これはアニメーションの製作技法で根幹とも云える事で、静物画のスケッチから企画の立ち上げ、そして本格的な製作開始に至るまで、全てに適応される事柄だと思う。

静物画のクラスにいると、時々、不思議に思う事がある。なぜ生徒達はモデルを見て、風刺画風のタッチで描いて、リアルスケッチで描こうとしないのかって事だ。それとある生徒の一人が描いたモノには感心したね。これからのアニメーション製作の参考になるんじゃないかと。これを応用すれば、風刺画のセンスと作品に取り込み、アニメーションの全ての基礎を学べると思うんだが。

システム化されたアニメーション製作を確立する為に、君と昨秋、アニメーター達に基礎学習を習わせる計画を始めたわけだが、当時思ったのは、ただ頭ごなしに教えるだけではダメだと思った。誰かにデモを発表させ、楽しめる授業にしないとと思った。

これは今もっていいアイデアだと思ってるし、若いアーティストには的確な教えを享受出来るんじゃないかと。基礎も含めて。

例えば、歩きだ。「普通の歩き」を教える時に「楽しい歩き」「有り得ない歩き」を表現する方法も教えるのも有りじゃないかと思う。普通のアクションを教えるのもいいが、それだけじゃアーティスとして幅が広がらない。コメディ的なアングル、アクション、行動に風刺を持たせる。例えば腹の迫り出した太った人。この人物を想像した時、あなたの頭の中にはどう云う空想が浮かぶか?

この授業では同時に、この太った人はなぜ行動、動きが制限されてしまうのか(肥満だから、等)の理由も教える。

◯この肥満の人を見たら、まず最初に頭の中にどういう事が浮かぶか?
◯この肥満の人が歩き出すと、何が脳裏に映るか?
◯この肥満の人はボウルの中のゼリーと同類か?
◯この肥満の人は手足のぶら下がった風船と同類か?
◯それともただ単に球形?

言い換えれば、この太った人の歩き方で、なぜこう云う体型をしてるのかが分かる。しかしだ!全てのアイデアを出し切るまでディスカッションを止めてはならない。この体型、この歩き方で考えられる事、アイデアは全て出す。

痩せてる人でもいい。骨張って、鎖骨が見えてる人。この条件から何が見えるか?歩く骸骨の様にひもを付ける?マリオネット人形の様に?風に吹かれる案山子の様?歩き出すとこの人はどう見える?歩く以外の動きでは?

足の短い背の低い人。当然、この人は動きが速い。俊敏だ。背の高い人よりもステップが2倍速い。当然、歩く速度も。こう云う人から何を想像出来るか?すばしっこい子供?北京犬みたいな身体?それとも小人?

こう云うトピックでディスカッションを始めると、人間に対する想像力が更に増す。

身体の多種多様な表現はアニメーションにとって非常に重要だ。アニメーター達は、紙の上に描かれた人や動物の身体の一部を動かして、それが何を表現してるのか説明するわけだ。動きがないとアニメーションじゃない。

下書き、スケッチがキチンと描けていれば、アニメーションの動きは自然と滑らかになる。説明不可能なアニメーション特有の不思議な効果も二倍になる。新人、ベテランにもこの辺を理解させる事が急務だ。

我が社のアーティストにこれまで数多くの技術的アドバイスをして来たが、キャラクターの顔の表現も身体と同じ位、重要だと云う事も分かった。眼球や眉毛、口の動かし方、そしてそれらのコンビネーション。目と眉毛がどう連動するか?あるいは別々に動く時はどう云うシチュエーションの時か?部分、部分のコンビネーションで何通りもの意味を持つ。

うちで雇ってるセンスの良いアニメーター達には、企画立案の授業を指導してもらいたい。

作業に取りかかる前に、各シーンを分析する事も必要だ。頭の中に描いてるシーンを如何にそのまま紙の上に具現化するか。最終的なモノがどう云う画になるか想像出来ずに、そのまま開始してしまう者の多い事。何をすべきか分かってても、事前に頭の中に描けない者が多い。

キャラクターの動かし方を分かってないアーティストも多い。動機付け、理由等。こう云う事も授業で教える事は意味がある。言い換えれば、行動の動機とはムードであり、そのキャラクターの性格、態度、人間性、あるいはそれら全てと云える。人は行動する前に、頭で考え、想像する。よって脳が水先案内人と云える。更に、ちょっとした刺激が神経を通じ、脳に伝えられ、それを基に行動の理由付けを組成して行く。更には潜在意識が動機となる事も。要するに、誰から教わるでもなく、潜在意識が喚起され、無意識に行動する。良い例が、「寝る」であるとか「タバコに火を付ける」あるいは、その後、何も考えずに「マッチを捨てる」等。そう云った行動は、意識した上での行動ではないのだ。

意識した上での行動もある。素早く頭の中で考え、行動に移す。「まずドアを閉めて、カギをかけ、そして服を脱いで、ベッドに入る」とする。しかし実際は、歩き終わる前にドアに辿り着き、ドアを閉める前に、手はポケットの中のキーを触り、ドアを閉める前に、身体は既にベッドルームに向かおうとしている。その向かってる最中にネクタイに手が伸び、外そうとしている。そして知らない内に、服は脱いでるわけだ。これら一連の行動は、たった一回の思考で構成されてる。それは「さあ寝よう」と思った時だ。

アニメーターにとって音楽は重要だ。リスムやダンスの勉強。これが如何に我々の実生活に密着しているかが、勉強すれば見えて来る。音楽を全身に流し込む。これがダンスだ。誰に云われなくともリズムで時間を計る事が出来る。幼児にはそれが出来る。人食い人種にも出来る。しかしちょっと毛色の変わったダンスは教わらないと不可能だ。音楽に強いアニメーターほど力強いものはない。

人間の身体ほど非常にバランスが取れてるモノはない。一方が右に傾くと、もう一方は左に傾こうとする。もう一つのバランス感覚があるとするなら、それは潜在意識だ。潜在意識のバランスだ。アニメーターでそれに気づいてる者は非常に少ない。身体の片方が右に行こうとすると、もう片方はどうしていいのか分からない。代わりに全く別の事をやろうとする。何故ならバランスを取ると云う事を知らないからだ。バランスを取ると云う事は肉体表現と密な関係にある。バランスと云うモノが存在するならば、身体の動きに表現する事が加味する事も可能だ。もしそうでなければ、あなたの表現法は間違ってると云う事だ。説得力がないと云うべきか。これは「二次作用」とも関連する。

こうした基本要素を教える事で、全てが仕事と直結してる事に気づくわけだ。アーティストのマインドをもっと広げてやる事だって出来るし、アーティスト自身も教室以外で、自ずと気づく事もあるかも知れない。

台詞の教室もやりたいね。台詞のフレーズ、リズム、そしてムードとキャラクター。表現法、ゲスチャー、率直さとか。目、眉、口、頭、腕、胴体、舌、呼吸法等も分析して、アニメーションに取り入れる。こう云う事が可能かどうか年明けにも検討してみよう。

ウォルト・ディズニー
1935年12月23日

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